半島の先端でインタビューや一緒に作業をする中でこの土地に生きるお年寄りたちから感じる確信に満ちた振る舞いについて考えてみる。

山や川、森に暮らし、生き物や植物に触れる。
採取したり、拾ったり、殺したり、食べたり。
自分が怪我をしないために、もっと簡単にたくさん手に入れるために小さな頃から年長者について山野や川を歩き、経験を積む。
教えられる一方ではなく、過程で色々な気づきを重ねそれを元に試してみる、失敗や成果を元にやり方を変えていく、その繰り返しから経験が深まる。
これは大人になってもさまざまな出来事に対して、観察し、働きかけ、戻ってきた反動にまた応えていく、一つの方法論として成熟する。

翻って、今の私たちはお金で物を買う。自分らしさ、のような言説に基づいて衣類を選び、犬を買い、時間や能力の対価として仕事を決める(もちろんそれだけではないけれど)・・。都市で暮らすためには否応なしにお金が必要だ。そして、都市で老いていく時に、その暮らしがお金のあるなしに影響される現実に依るべなさも漂う。

(ここまで前置き)老いていくならまだ良いが、都市に暮らす子どもたちとたくさん出会う中で、ゲームやネット空間の世界、これから予想されるAIの興隆に、子どもたちは自分自身を取り巻く世界とどのように関係を形成していくのだろうか?

争うことはもはやとっくに諦めざるを得ないのだが、それでも、子どもたちの生きる環状線の近くと伊豆半島の先っぽの暮らしを、造形を介しそれぞれに想像した。

授業の初めには、子どもたちが身近なところから持ち寄った木々や葉について話を聞かせてくれた。
こちらからは、半島の生活とそこで生まれるさまざまな素材を紹介した。
たくさんの広葉樹の枝、幹、葉。山から流れ下った流木。こんがらがったつる植物などなど。

私が暮らす場所で出会う猪や鹿、穴熊、蛇やカエルなどなどと彼らが暮らす森について話した。
伊豆半島で採取したたくさんの自然素材。大きさや重さ、虫食いをどのようにとらえるだろうかー。

子どもたちはやや長めの観察の時間の後、素材を選び取っていった。
授業時間の90分を丸太を切ることに費やす、ひたすら手つきよく表面を鉄ヤスリで磨く、枝と枝を繋ぐなどなど、思いもよらない展開も生まれた。

そこでの一つ目の大きな気づきは、子どもたちの様子から、半島で育った年寄りから得た気づきに確信を深めたこと=答えのないことに向き合って、経験を積んでいくことの大切さ。二つ目は、とは言っても、都市に暮らす子どたちも、大きなものから小さなもの、重いもの軽いもの問わず虫が這い出たりボロボロと剥がれ落ちる木屑を物ともせず、選び取って働きかけを始め、そして思いもよらない、その子ども自身とも言える造形物が生まれたこと。何か湧き出るように自然素材と子どもたちの往還が生まれたこと。