5月に山に入り、6月に木を切って運びだし、夏のいとまをへて、9月のこの日はじっくり木に触れた。
工房に到着すると、かたち、大きさ、長さ、太さがさまざまな、切り株や幹や枝が、わたしたち参加者を待ち受けていた。すべて河津近辺で育ち、切られた木の断片。
そのなかに、とくべつ台に据えられた丸太があった。6月にみんなで切って運んだあの桑の木だった。ふた月振りの再会のはずが、「あの時の桑の木でしたっけ?」と別人ならぬ別木に出会ったような感じがした。朝の雨に濡れ、桑の木の皮は濃く艶めいていた。

朝のうちに竹田さんと伸輔さんが台座にセットしてくださっていたそう
竹田さんの制作の土台となるお話を聞いた。愛媛の山間の町で育った竹田さんは、そこで育った木々を用いた彫刻を作っている。愛媛の山々、芸能、子どもの頃に山道で体験した不思議な出来事などを語り終え、ふと竹田さんは、この工房から見える棚田の景色が生まれ育ったところと似ているとおっしゃった。わたしも愛媛の山を想像しながら、周囲の山々を見渡してみた。
工房には、ノコギリ、オノ、小刀、彫刻刀、キリ、ヤスリ、そのほか木を挟んで固定する道具、それに膠や柿渋などが用意されていた。切ったり、割ったり、穿ったり、削いだり、擦ったり、接合したり、塗ったりするのに使う。
なにかを完成させるといった動機からではなく、無目的にまず手足を動かしてやってみることがこの会の醍醐味なのだけれど、道具には一つひとつちゃんと目的が備わっているのだなあ。(用途から外れた使用法というのもあるかもしれないけれど。)
普段手にしない道具類、それに、たくさんある木の切れ端。どれに手を伸ばそうかと、迷ってしまう。これまで、木に触れる経験というと、公園や山などに生えている樹木か、ホームセンターで売られた材木しかなかった。こんなふうに一見すると用を成さない木の断片をじっくり見ることもなかった。
迷った末、握るとちょうど良い太さで、への字型に曲がていて、木の股のところの節や皮が獣っぽく見えたものを選んだ。
竹田さんや伸輔さんに道具の使い方のアドバイスをもらいながらやってみる。手ごろな大きさになるようノコギリで切ったり、朽ちて柔らくなった部分をヤスリで削ったり、切り株の表面に彫刻刀で模様をつけたり(それをみて宮下さんが「雨が降ったね」とひとこと)、枝の先っぽを小刀で削って凹ませたり…。
ほかの皆さんも、あれこれせっせと木に向き合っていた。
記憶に残っているあれこれを挙げてみると…
巨大ピーラーのようなもので木の皮を削っていた。(牛蒡みたい!)
斧を振りかざして思い切り丸太を割っていた。
三又の枝と薄い丸太を接合して腰掛けが出来上がっていた。
紙ヤスリを粗目から細目へと丁寧に擦り続けた末、触れると惚れ惚れするようなスーパーフラットが生まれていた。
なぜか撫ぜたくなるような丸みを作り上げていた。
道具を一切使わず、ひたすら指で樹皮を剥く技を会得していた。
ハンマーとノミで丸太を穿ち、木の内側に眠るカタチを彫り出していた。(the彫刻家っぽい!)
無目的が深まってゆく。そうして終わりの時間がやってきて、それぞれどんなものになったか見合った。

竹田さんの初期作品のサイと、今日作られた木のカタチたち
会が終了したあと、ずっと手先だけでちまちま作業していたので、せっかくだからダイナミックに木に触れておきたいという欲が高まってきた。思いつきで、その辺にあった丸太をオノで割ってみようとする。が、オノの先端が中途半端に丸太に刺さるだけで、一向に割れない。みかねて林業の吉田さんの助け舟。吉田さんは、丸太に刺さったオノの上から、別の木材を力一杯振り下ろした。強い衝撃はカーン、カーンという音を立て、棚田の向こうまでこだました。ざくりと割れたその木から、ハッカのような強い匂いが拡がった。クスノキの内側の匂い。でもそれは、わずかな時間で消えていった。
竹田篤生
1987年 愛媛県生まれ
2010年 高知大学教育学部 芸術文化コース 卒業
地方に根付く祭りや民俗芸能に触れてきた幼いころの記憶に現在の体験や日常の風景から感じたものが混ざりあう。記憶と空間、時間と感情を行き来する彫刻を表現しています。
パブリックコレクション
朝倉文夫記念館(大分)、南城美術館(沖縄)
受賞歴
2010年 第40回記念展 日彫展 新人賞 (国立新美術館/東京)
第3回いの美術展 グランプリ (いの町紙の博物館/高知)
2024年 第17回大分アジア彫刻展 優秀賞(朝倉文夫記念館/大分)


